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〜ハロルド・コノリー〜
アメリカ合衆国の元ハンマー投げ選手である、ハロルド・コノリーさんは小児麻痺の影響で、片方の腕が短く小さいというハンディをもっていたが、世界で初めて70m台を記録。
6度の世界記録と1956年のメルボルン・オリンピックのチャンピオンに輝いたすばらしい選手である。
片方の腕だけを使う競技よりも、ハンマー投げは両方の腕を使うということで、身体強化に良いと思いトレーニングを始めた。
バーベルを持ち上げる際、片方の腕が短いので短い方の手にタオルを巻く工夫により長さを調節して持ち上げていた。コノリーさんのメルボルン・オリンピックのエピソードがとても好きなので、一つ紹介したい。
〜オリンピック〜
ハル(ハロルド・コノリー)は、どんな逆境にも乗り越えてきたが、さすがに初めてのオリンピックということで、現地のメルボルンに到着してからも緊張していた。そんな中、当時の世界の第一人者であるソビエト連邦のクリボノソフに挑まなければならない。
ハルは、クリボノソフという大会金メダル候補に勝つためにはどうしたらよいかということを必死に考えた。
その結果、ソビエト選手の練習場所に行き、彼らがいない間に通常の投げるところよりも手前からハンマーを投げ、彼らの練習で落下したハンマーの痕跡よりも遠くに着弾させることで、彼らの自信を失わせる作戦を考えた。当時冷戦時代ということもあり、ソビエトチームは、他のチームとは離れた別の練習場で、ひそかに練習していた。
ハルはその場所を突きとめるのにも苦労したが、ようやく見つけて、アメリカチームの同僚とソビエト選手の使用する練習場に向かった。
そしてソビエト選手がいなくなってから練習場に入ろうとしところ、グランドキーパーに“ここはソビエトの専用練習場なので、アメリカ選手が練習できる場所ではない”といわれたが、ここは引き下がらず練習をする許可を得て、フィールドに向かい、クリボノソフの練習で投げた痕跡を見た。ハンマーの痕跡は世界記録付近にいくつか着弾していた。
ハルは、このままでは勝てないと思い、ハンマーを手にしてサークル付近に向かった。
そして、サークルのずいぶん手前からハンマーを投げ、クリボノソフが練習で投げた世界記録付近の痕跡をはるかに越えるところにハンマーを着弾させ、同僚の練習バッグにあった星条旗を取り出し、その着弾点に突き刺した。
帰りがけに自分の突き刺した星条旗に指をさしながら、グランドキーパーにこう言った。
“もしソビエト選手が来たら、言ってくれ。
アメリカのコノリーが練習に来たと”大会当日、クリボノソフはこの影響があったのか、自分の力を出し切ることはできなかった。それに比べてハルは、のびのびと自分の力を十分に発揮し、金メダルを獲得した。
〜私とハル、そして人生最初のライバル、アダム・コノリー〜
1984年に父がロスアンゼルス・オリンピックを目指しアメリカでトレーニングを行っていた際にはじめて出会った。
ちょうどご子息のアダムは、私より年齢が一つ下ということもあり、すぐに仲良くなった。
彼もハンマー投げをお父様から習っていたこともあり、一緒に何度か練習をしたことがある。
(もちろん本格的な練習でなく、遊びの延長線)そんな中、国際陸上連盟が初心者や子供向けにビデオを作成する企画があり、それに何人かの若い人達と共に、アダムと私が参加させていただくことになった。
これは私にとって、とても印象に残る撮影で、ハンマー投げの楽しさを知るきっかけにもなった。
教え方は、とてもシンプルで、ハンマー投げに必要な全体像が見えてくる。ハルの指導のもと楽しい時間を過ごすことができ、将来に夢を持たしてくれるような気がした。“がんばれば僕も大選手になれるぞ!“と、本気で思ったことをはっきりと覚えている。
数としては少ないが、いくつか写真を載せたいと思う。
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