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2012年11月22日 (木)

すべての世代に受け継ぎたいレガシー(遺産)として価値ある聖火台と聖火台が伝えるオリンピックの精神

今年も恒例の国立競技場での聖火台磨きに参加させて頂きました。
皆さん、この聖火台のこと、どのくらいご存知ですか?少し長くなりますが、ぜひ知って頂きたく、その歴史を含め、語らせて頂きます。

国立霞ヶ丘競技場バックスタンド最上段にそびえ立つ黒い大きな植木鉢のような形状のもの。それが今から48年前の1964年、日本で初めて開催された東京オリンピックで使用された聖火台です。

風雨にさらされる厳しい環境の下、この聖火台が約半世紀を経て、今もなお現役として活躍していることを私が知ったのは3年前のことでした。

この聖火台は高さ2.1m、直径2.1m、重さ2.6tにもなる鋳物でできており、鋳物作りで栄えた川口市の鋳物師の名工・鈴木萬之助、文吾親子が命がけで作り上げたものでした。事実、萬之助さんは2ヵ月かけて作り上げた聖火台の鋳型に高温の鉄を流しこむ「湯いれ」と呼ばれる難しい作業に失敗し、鋳型は爆発。そのショックで萬之助さんは寝込み、約1週間後、亡くなってしまいます。父の無念を引き継いだ文吾さんは葬儀にも出ず、寝食を忘れるほど作業に没頭。ご兄弟やお仲間の助けもあって、残された1ヵ月にも満たない期間で何とか完成にこぎつけたのだそうです。

聖火台は1958年5月に行われたアジア競技大会で初めて使用され、その6年後の東京オリンピックでオリンピックの象徴である聖火が灯されたのです。

その後、毎年、東京オリンピックの行われた10月10日前後に文吾さんは競技場に足を運び、聖火台を磨かれたと聞きます。文吾さんは残念ながら2008年7月に亡くなられましたが、その後も故・鈴木文吾さんのご家族・ご親族と川口市の関係者の皆さんが毎年、この季節に丁寧にたわしで埃を払い、ごま油で聖火台を磨き上げられてきたのです。初代の聖火台が今も現役でその雄姿を見せていられているのは、このような手入れが入念に行われていたからなのでした。

多くの人に知られることもなく、50年にも渡って、聖火台磨きが続けられてきたとはなんて素敵なことだろうと感動しました。そして、ぜひ皆さんにこのエピソードを知っていただきたいと思ったのです。

聖火台はオリンピックの象徴です。私もオリンピアンの一人として、この話を聞いたときにぜひ一緒に磨かせてもらいたいと思い、2009年にこの聖火台磨きのイベントを発案したのです。そしてスポーツに親しむ小・中学生、高校生、いわば未来のオリンピアンに参加を呼びかけてきました。

オリンピックは参加するアスリートだけでなく、スポーツを楽しむ観客、アスリートをサポートするスタッフ、大会の運営者及び関係者、報道関係者他、多くの方々、さまざまな世代の人々が関わって成り立っています。

アスリートのパフォーマンスを見守り続けてきたこの聖火台をさまざまな世代の人々が磨き、大切に扱い、レガシー(遺産)として現在、そして未来に継承することもまた、オリンピックの精神に触れることに繋がると私は確信しています。

今、東京は2020年の夏季オリンピック開催に向け、再び招致活動を行っていますが、1964年東京オリンピック以来、オリンピックの精神はこの国立霞ヶ丘競技場の聖火台に象徴されるようにこの東京の地に根づき、今日に至っているのです。

私自身、20年に及ぶアスリート生活、4度のオリンピック出場、そして年齢の限界に挑む身体機能を向上させるトレーニングを通じて、長くスポーツを続ける意義を感じています。オリンピックで良い成績を上げ、結果を出すことも大事ですが、大切なのはそのプロセスにあります。スポーツには老若男女の心身の健康を維持する重要な力があることも広く知られているところです。すべての世代にスポーツに親しんでもらうこと。それもこれからのオリンピックが伝える重要な精神の一つと私は考えます。


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